朝、目覚ましが鳴ります。もう少し早く起きるべきだった、と思います。
朝食は抜かないほうがいい。通勤の電車では、ニュースくらい見ておくべきだ。仕事のメールは、その日のうちに返すべき。夜は自炊すべきで、寝る前のスマホはやめるべきで、休みの日は何か有意義なことをすべきだ。
一日が終わるころには、できなかったことのほうが多く残っています。
そして、その残った分だけ、自分を少し責めます。
これは、意志が弱いという話ではありません。「すべき」の数が、一人分の1日に対して多すぎるだけです。
この記事は、その「すべき」がどこから来たのか、という話です。
1日に何回、「すべき」と言っていますか
勉強すべき。運動すべき。節約すべき。親孝行すべき。友達を大切にすべき。仕事を頑張るべき。
並べてみると、どれも正しく見えます。反論できるものが、ひとつもありません。
だから、減らせないんです。
減らそうとした瞬間に、「それは怠けだ」という声が返ってきます。その声はたいてい、自分の声の形をしています。
ここが、「すべき」の扱いにくいところです。間違ったことを言われているなら、断れます。正しいことを言われていると、断る理由が見つかりません。
そして正しい「すべき」は、増えることはあっても、自分から減ることはありません。
心理学者が「べきの専制」と呼んだもの
この状態に、名前をつけた人がいます。
心理学者のカレン・ホーナイは、これを「べきの専制」と呼びました。専制というのは、ひとりの支配者が絶対的な力をふるうことです。
自分の中に「べき」が無数に積み重なる。その全部に応えようとして、人は疲れ果てる。ホーナイはそう書きました。
支配しているのは、上司でも、親でも、世間でもありません。自分の中にある「○○すべき」そのものです。
だから、逃げ場がありません。会社を出ても、家に帰っても、休みの日でも、「すべき」は一緒についてきます。休んでいるあいだも「休んでいる場合ではない」と言ってきます。
疲れているのに休めない。やることは多いのに、何をしても足りない気がする。その感覚には、ちゃんと名前がついていたんです。
その声は、もともと外から来ました
ここで、ひとつ確かめてほしいことがあります。
あなたの「すべき」は、あなたが決めたものでしょうか。
早く起きるべきだ。もっと頑張るべきだ。人に迷惑をかけるべきではない。——これらを、自分で考えて決めた記憶はありますか。
たぶん、ありません。
親に言われた。学校で教わった。会社でそう扱われた。SNSで、そうしている人を毎日見ている。そうやって外から入ってきた声が、長い時間をかけて、自分の声のように聞こえるようになっただけです。
だから、疑いにくいんです。外から来たものだと分かっていれば、一度は検討できます。自分の考えだと思っているものを、人は検討しません。
そして、ときどき違和感が出ます。
正しいことをしているはずなのに、気持ちが重い。周りは平気そうなのに、自分だけ息がつまる。あの感覚は、性格の問題ではありませんでした。その「すべき」が自分のものではない、というサインです。
まず、書き出してみてください
減らす前に、やることがあります。
今日の「すべき」を、紙に書き出してみてください。スマホのメモでもかまいません。思いついた順で、十個くらい出れば十分です。
書き出すだけで、少し変わります。頭の中にあるあいだ、「すべき」は数えられません。数えられないものは、多いか少ないかの判断もできません。だから、いつまでも全部に応えようとしてしまいます。
紙の上に出ると、はじめて量が見えます。
そのうえで、一つずつ聞いてみてください。
これは、本当に私がしたいことか。それとも、誰かの声か。
答えが出ないものが半分くらいあると思います。それでかまいません。今日は、答えを出す日ではありません。「これは誰の声だろう」と一度立ち止まれた、というだけで十分です。
減らすのは、そのあとです。
いちばん根が深いのは、お金の「すべき」
書き出したリストを見ると、たぶんお金に関するものが混ざっています。
節約すべき。将来のために貯めるべき。欲しいものを我慢すべき。お金を欲しがるべきではない。
お金の「すべき」は、他のものより根が深く残ります。理由は単純で、正しさを疑われる機会がほとんどないからです。運動すべきは、体調を崩せば見直します。仕事を頑張るべきは、転職すれば形が変わります。
でも、節約すべきを疑う場面は、人生のどこにも用意されていません。
だから何十年もそのまま残り、いちばん長く、いちばん静かに、あなたの選択を支配し続けます。
その常識がどこから来たのかについては、別の記事で書きました。
「すべき」を半分にする、というのは、無責任に生きるという意味ではありません。
自分のものではない声を、自分の一日から少しずつ外していく、というだけのことです。
外した分だけ、余白ができます。その余白に何を入れるかは、そこではじめて、自分で決められます。
今日書き出したリストは、捨てないでおいてください。来週、もう一度見ることになります。