「あなたは間違っていない。ただ少し、まだ周りがついていけないだけ」
そう言われて、少しほっとしたとします。
でも、翌朝はやってきます。同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じような会話に、同じようにうなずいている。
慰めは、優しいけれど、明日を変えてはくれません。
ここから先の話を、書きます。
そのうち、わかってもらえる
先に気づいてしまった人が、いちばん静かに陥りやすいのが、待つ姿勢です。
いつか時代が変わって、周りが追いついてきて、そのときには、この感覚もわかってもらえる。そう思うのは自然なことですし、実際、そうなることも多いのだと思います。
ただ、その「いつか」を待っているあいだも、毎日はふつうに過ぎていきます。
わかってもらえる日を待つというのは、言いかえると、自分の人生が動き出すタイミングを、周りの理解のスピードに預けてしまうということです。
待っているかぎり、いつ始めるかを決めるのは、自分ではなくなってしまいます。
いちばん力を使っているのは、合わせること
疲れの正体は、たぶん、「気づいてしまったこと」のほうではありません。
「気づいていないふりをする」ほうです。
話の合わない場所で、合っているような顔をする。心の中で「そうかな」と思いながら、そうですね、と返す。誰かの愚痴に、たぶん本心ではない相槌を打つ。
ひとつひとつは小さなことです。でも、これを一日に何度も繰り返していると、家に帰るころには、理由のわからない疲れだけが残っています。
孤独そのものより、孤独を隠すことのほうが、ずっと体力を使うのだと思います。
(このあたりのことは、寂しさと孤独は、違うもの にも書いています)
先に気づいたということは、先に生きられるということ
昔、地球は丸いと言った人たちがいました。
その人たちは、笑われながらも、すでに丸い地球の上を歩いていました。世界が認めてくれるのを待ってから、丸いと思いはじめたわけではありません。
先に気づくというのは、未来を先に知ることではないのだと思います。
未来を、先に生きられるということです。
追いつかれるのを待つ必要は、ほんとうはありません。もう見えているのなら、その見えている世界のほうで、今日を過ごしてしまっていい。
あなたにその許可を出せる人は、たぶん、ひとりしかいません。
「みんなが」ではなく「私は」で決める
といっても、大きなことをする必要はありません。
会社を辞めるとか、人間関係を切るとか、そういう話ではないんです。
今日ひとつだけ、周りの基準ではなく、自分の感覚のほうで決めてみる。それだけです。
行かなくていい集まりに行かない。みんなが持っているものを、買わない。気の進まない誘いを、ひとつ断ってみる。
小さいほうがいいのは、小さな選択なら、毎日あるからです。
大きな決断は年に数回しか来ませんが、小さな選択は今日も明日もあります。
そのたびに「私は」で決めていくと、いつのまにか、自分の感覚で世界を歩く時間のほうが長くなっていきます。
時代は、あとから来る
先に気づいた人が、ずっと孤独なままかというと、そんなこともありません。
時代は、あとからあなたに追いつきます。
ただ、それを待つ必要がないだけです。待たずに歩いていた人のところに、あとから追いついてくる。順番はそれでいいのだと思います。
あなたは、早く来すぎたわけではないんです。
ただ、先に歩きはじめただけなんです。
とはいえ、周りと違う感覚のまま毎日を過ごしていると、『私はどうしたい?』がだんだん聞こえにくくなってきます。まわりの声のほうが大きいので、自分の声が小さく感じられてしまう。
私は毎朝、アルファソートの〈自分軸〉を聴きながら支度をしています。何かを信じるためではなく、外側の音で埋まってしまった場所に、自分の声を戻すための時間です。
外側の雑音から、自分の中心に戻る。