― ほんとうのあなたは、誰にも見せていない時間の中にいる
スマートフォンの中に、よく似た写真が何枚も並んでいる。 その中から一枚を選んで、明るさを少し整えて、言葉を何度か書き直して、ようやく投稿する。
たぶん、誰もが当たり前にしていることです。 でも、ふと立ち止まって考えてみてください。
そこに映っているのは、ほんとうのあなたでしょうか。 それとも、「あなたが見せたいあなた」でしょうか。
私たちは、いつも誰かに見られている
ある社会学者は、人は日常のすべての場面で、舞台の上の役者のように振る舞っている、と言いました。
職場では「きちんとした社員」を。 家では「優しい母」や「頼れる父」を。 友人の前では「明るい自分」を。
私たちは、その場にふさわしい自分を、無意識に演じ分けています。 これは、ずるいことでも、嘘でもありません。人と関わって生きていくための、自然な知恵です。
ただ、SNSという舞台は、その演技をいちだんと極端なものにしました。
写真を選べる。言葉を直せる。何度でも撮り直せる。 編集したあとの自分だけを、世界に向けて差し出せるようになったのです。
演じ続けるうちに、見失うもの
問題は、「見せる自分」を作り続けているうちに、どれがほんとうの自分だったか、だんだん分からなくなることです。
投稿用に整えた笑顔が、いつのまにか自分の標準になる。 「こう見られたい」という像が、「こうでなければいけない」という縛りに変わっていく。
そしてある日、ふと気づきます。 画面の中の自分と、ひとりでいるときの自分とのあいだに、埋めようのない距離があることに。
その距離が広がるほど、人は静かに疲れていきます。 誰のために整えているのか、分からないまま、整え続けてしまうからです。
「ほんとうの自分」は、探すものではない
「ほんとうの自分を見つけたい」とよく言われます。 でも、ほんとうの自分は、どこかに隠れている宝物ではありません。
それは、誰にも見られていない時間の中に、ただ静かに在るものです。
部屋着のまま、何もしないでいる時間。 ひとりで歩いて、ぼんやり空を見上げる時間。 スマートフォンを閉じて、誰の視線も届かない時間。
その時間の中にいるあなたこそが、飾る前の、ありのままのあなたです。 見つけにいくものではなく、静けさの中で思い出すもの。それが、ほんとうの自分の在り方です。
週に一度、「見せない自分」に還る
ここで、ひとつだけ試してほしいことがあります。
週に一度でいい。 半日でも、数時間でもかまいません。 SNSを開かない時間を、意図的に作ってみてください。
その時間は、誰にも見せなくていい。 うまく見せようとしなくていい。 ただ、自分のためだけに過ごす時間です。
最初は、そわそわするかもしれません。 通知を確認したくなったり、何かを投稿したくなったり。 でも、そのそわそわが落ち着いたあとに残るものこそ、あなたが長いあいだ後回しにしてきた、自分自身の声です。
見せるための自分を、少しだけ手放してみる。 それは、ありのままの自分を、自分の手に取り戻すための、小さな一歩です。
あなたは今、誰のために、自分を整えているでしょうか。
その問いに、すぐに答えが出なくても大丈夫です。 週に一度の静かな時間が、いつのまにか、答えをそっと連れてきてくれます。