夜、スマホを閉じたあとに、少しだけ胸がざらつくことがあります。
誰かの投稿を見た。楽しそうだった。うまくいっているように見えた。それだけのことなのに、なぜか自分の部屋の静けさが、急に重たく感じられる。
そういう夜のことを、今日は書いてみます。
羨ましさを感じた自分を、責めていませんか
羨ましい、と思ったとき。
多くの人がその直後に、もうひとつの感情を重ねます。
「こんなことを思うなんて、心が狭い」
「人の幸せを喜べない自分は、よくない人間だ」
羨ましさそのものより、そのあとの自己嫌悪のほうが、ずっと長く残ったりします。羨ましさは一瞬で通り過ぎるのに、「そう感じてしまった自分」への評価は、何日も居座る。
でも、考えてみてください。
羨ましいという感情は、あなたが何かを選んで生み出したものではありません。勝手に、湧いてくる。
自分で選んでいないものを、自分の人格の証拠にしなくていいのです。
雨が降ったことを、あなたの責任にしないのと同じように。
その感情は、あなたの願いを指している
羨ましさには、ひとつだけ確かな性質があります。
興味のないものには、その感情は湧かない。
たとえば、あなたが車にまったく関心がなければ、誰かが高級車を買ったと聞いても、心は動きません。「へえ」で終わる。
けれど、心がざらついたとしたら。そこには、あなたが大事にしている何かが、確実にあります。
自由に時間を使っている人が羨ましいなら、あなたが欲しいのは時間です。
好きなことを仕事にしている人が羨ましいなら、あなたが欲しいのは納得です。
誰かに大切にされている人が羨ましいなら、あなたが欲しいのは、安心です。
羨ましさは、あなたの中の「まだ言葉になっていない願い」が、外側の景色を借りて姿を見せた瞬間です。
普段は、忙しさに紛れて聞こえない声。それが、他人という鏡を通したときにだけ、はっきりと形になる。
だから、その感情は邪魔者ではありません。あなたの願いを示してくれる地図なんです。
ただし、指しているのは「相手」ではなく「方向」
ここに、ひとつだけ気をつけたい落とし穴があります。
地図は方向を指しているのに、私たちはつい、指し示された「人」のほうを見てしまう。
その人のやり方を真似ようとする。その人と同じ場所に立とうとする。その人が持っているものを、そのまま欲しがる。
けれど、あなたが本当に欲しいのは、その人と同じものではありません。その人が味わっている生き方の質のほうです。
自由。納得。安心。静けさ。手ごたえ。
そういうものには、その人の形と、あなたの形があります。同じ形をしていることは、ありません。
あなたが見上げてしまった誰かの光は、あなたに「そちらに何かがある」と教えてくれただけです。そこへ歩くのか、少し角度を変えて歩くのかは、あなたが決めていい。
今日、できること
羨ましさを感じたとき、一行だけ書いてみてください。
「あの人の、何が羨ましいのか」
大切なのは、人の名前ではなく、そのあとに続く言葉のほうです。
「時間の使い方が自由なところ」
「迷わずに選んでいるところ」
「誰にも説明せずに生きているところ」
書き出してみると、驚くほど具体的なことが出てきます。そして、そこに書かれたものが、いま、あなたの人生に足りていないと感じている部分です。
それがわかれば、次にやることは、ずっと小さくなります。
自由が欲しいのなら、今週、断れる予定をひとつ断ってみる。
納得が欲しいのなら、明日、自分で決めていい選択をひとつ見つけてみる。
人生をまるごと変える必要はありません。地図を手に入れたら、一歩だけ、その方向に足を置いてみる。それだけで十分です。
羨ましいという感情は、あなたが何かを諦めきれていない証拠でもあります。
それは、まだ生きている願いです。
そのざらつきを、消そうとしなくていい。責めなくていい。
ただ、静かにその方向を見てみてください。
そこにあるのは、他人の人生ではなく、あなたがまだ歩いていない、あなたの道です。
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