静けさと余白

何のためでもない時間だけが、あなたの人生の味になる

旭しのぶ

会社や集団の中でいるのがしんどく、人前が苦手。 友達がいない自分はおかしいとずっと思ってきました。 精神世界や引き寄せを学び、 「今のままの自分でいい」と思えたことで生きやすくなりました。 静かに、自分軸で生きるヒントを発信しています。

今日、あなたは何をしましたか。

本を読んだかもしれません。少し歩いたかもしれません。お茶を淹れて、ひと息ついたかもしれません。

では、もうひとつだけ聞かせてください。

そのどれかに、目的はありましたか。

思い返してみると、気づくことがあります。今日あなたがしたことのほとんどが、何かのためだったということに。

あなたの一日は、「何かのため」になっていませんか

読書は、自己投資のため。
運動は、健康のため。
人付き合いは、キャリアのため。
映画は、インスピレーションのため。
早く寝るのは、明日のパフォーマンスのため。

どれも正しく聞こえます。むしろ、意識の高い一日です。

でも、ここには静かな決め事がひとつ隠れています。
「役に立つこと」だけが、あなたの一日に入ることを許されている、ということです。

そして、それ以外のものは、名前を与えられて締め出されます。

「無駄」という名前です。

意味もなく窓の外を眺める時間。
学びのためでない映画をぼんやり観る時間。
ただ好きなだけで、誰にも話さない趣味。
それらは予定表に書かれることなく、そのまま消えていきます。

あなたが捨てたのではありません。「何の役に立つ?」という問いが、勝手に選別していったんです。

「無駄」こそが、人間を人間にする

20世紀のフランスに、ジョルジュ・バタイユという思想家がいました。

彼が生涯こだわり続けたのは、経済学でも心理学でもなく、「人はなぜ、役に立たないことに情熱を注ぐのか」という問いでした。

祭り。贈り物。芸術。誰も得をしない儀式。人類はどの時代でも、どの土地でも、必ずこういうものを持っています。合理的に考えれば、全部いりません。使った時間も、費やしたお金も、何も生みません。

それでも、その「無駄」を人はやめませんでした。

バタイユは、そこにこそ人間の本質があると考えました。役に立つことだけをしている状態、それは生きているのではなく、動いているだけだと。

目的に奉仕しない時間。ただ、それ自体のためにある行為。

彼はそれを、「自由」と呼びました。

言い換えれば、あなたが今日「無駄だから」と切り捨てたものの中に、あなたの自由が入っていた、ということになります。

手段だけの人生には、目的地がありません

学生の頃、勉強は受験のためでした。受験は、いい大学のため。いい大学は、いい会社のため。いい会社は、安定した生活のため。

安定した生活は——何のためでしたか。

そして今日も、同じことが続いています。今日の仕事は、今月の数字のため。今月の数字は、今年の評価のため。今年の評価は、次のポジションのため。次のポジションは、収入のため。収入は、老後のため。

ずっと、次があります。

そして、その「次」は、たいてい外からやってきます。
あの人が持っているもの。あの人が立っている場所。
羨ましいと感じた瞬間、それは静かに、あなたの次の目的になります。
以前、羨ましさという感情について書きました。この感情は、行き先を教えてくれる地図でした。けれど同時に、あなたを走らせ続ける鞭にもなります。)

ひとつずつ見れば、どれも正しい。でも、並べて眺めてみると、奇妙なことが起きています。すべてが、次の何かの手段になっている。手段が、手段のために連なっている。

では、人生の本番はいつ始まるのでしょうか。

「定年したら」と、多くの人が答えます。行きたかった場所へ行く。読みたかった本を読む。何も予定のない朝を過ごす。

けれど、そのときのあなたは、今と同じ体で、同じ好奇心を持っているでしょうか。一緒に行きたかった人は、まだそこにいるでしょうか。

本当に怖いのは、その日が来ないことではありません。その日が来たときに、「何のためでもないこと」のやり方を、忘れていることです。

40年間、すべてを目的で測ってきた人に、ある日、目的のない時間が手渡される。多くの人が、その時間を持て余します。そして、また新しい目的を探し始めます。健康のため。ボケ防止のため。人と繋がるため。

檻を出た日に、自分の手で、檻を建て直してしまう。

手段だけで組み上げられた人生は、どこにも到着しません。到着する場所を、最初から持っていないからです。

星を見上げる時間は、何の役にも立ちません

夜空に、名前をつけた人たちがいます。

何千年も前の話です。彼らは、点でしかない光の並びを見て、そこに狩人を見ました。蠍を見ました。熊を見て、白鳥を見ました。そして、その一つひとつに物語をつけました。

もちろん、実用もあったでしょう。星の位置で方角を知り、季節を測り、種を蒔く日を決めた。それは確かに、役に立ちます。

けれど、それだけなら、印をつければ済んだはずです。

なぜ、そこに熊がいる必要があったのでしょうか。なぜ、その熊に、悲しい物語をつける必要があったのでしょうか。畑の収穫は、一粒も増えないのに。

人々は、必要な分を、いつも少しだけ超えてきました。その超えた部分に、名前や、物語や、祈りを置いてきました。役に立つ部分だけを残していたら、人はとっくに、ただ動く生き物になっていたはずです。

今夜、あなたが見上げる星の光は、何十年も、何百年も前に出発したものです。今そこにあるかどうかも、確かではありません。

その光は、あなたのために何もしません。あなたを稼がせもしないし、健康にもしないし、明日の役にも立ちません。

ただ、見上げているあいだ、あなたは「ただのあなた」でいられます。

誰の期待にも応えていない。何の準備もしていない。次に繋げようとしてもいない。

たぶん、それが、あなたが一日のうちでいちばん自由な数分です。

今週、10分だけ

提案があります。

今週のどこかで、10分だけ、何のためでもない時間を作ってみてください。

何をしてもかまいません。窓の外を眺める。意味もなく歩く。好きな曲を、何度も聴く。お茶を淹れて、ただ飲む。

ひとつだけ、条件があります。

その時間を、何かのためにしないこと。

これが、思っているより難しいんです。

だから、3つだけルールを置いておきます。

記録しない。報告しない。SNSに上げない。
後のために残すためでも、誰かに話すためでも、知ってもらうためでもない。

つまり——誰にも知られないまま、消えていく10分を作る、ということです。

何も残りません。何も得られません。終わったあと、「今のは何だったんだろう」と思うかもしれません。

それでいいんです。

むしろ、そう思えたなら、成功です。あなたの一日に、何十年ぶりかで、誰の役にも立たない時間が戻ってきたということですから。


リラックスのため、と思わないでください。
心を整えるため、とも思わないでください。

ただ、何のためでもなく。

10分だけ。

目的のない時間の中に、あなただけの人生の味があります。


最後に、ひとつだけ

なぜ、たった10分すら、目的無くいられないのでしょうか。

あの連鎖を思い出してみてください。勉強は受験のため。受験は将来のため。会社は安定のため。

目的のひとつひとつを、あなたは、自分で選んだのでしたか。

たぶん、ほとんどが、そうではありません。親の期待。学校という前提。世間の当たり前。それらが、いつのまにかあなたの声のような顔をして、内側に住み着いています。

だから、目的を手放そうとすると、抵抗が起きます。手放そうとしている相手が、自分だけではないからです。

外側の雑音から、自分の中心に戻る。

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