何かを始めたいと思ったとき、口から出てくる言葉があります。
資格を取ってから。
もう少し経験を積んでから。
ちゃんと準備ができてから。
どれも、まじめな言葉です。
始める前に整えておきたい気持ちも、よく分かります。
ただ、その「まだ」を言いはじめてから、どのくらいたったでしょうか。
半年。一年。もっと長い人もいるかもしれません。
この記事は、終わらない「まだ」の話です。
「まだ」は、準備の顔をしている
「まだ」には、二つの種類があります。
ひとつは、準備の「まだ」です。
来月の試験を受けてから。この講座を終えてから。
こちらには、終わる日が決まっています。
その日が来れば、「まだ」も終わります。
もうひとつは、待っている「まだ」です。
もう少し自信がついてから。ちゃんとした人になってから。
こちらには、終わる日がありません。
自信がついたかどうかを決める人が、どこにもいないからです。
二つは、外から見ると同じに見えます。
どちらも、まじめに準備しているように見えるからです。
見分ける方法は、ひとつだけです。
その「まだ」が終わる日が、決まっているかどうか。
肩書きは、社会が出す許可証
では、なぜ私たちは待ってしまうのでしょうか。
理由のひとつは、肩書きや資格の働きにあります。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、学歴や資格を「制度化された文化資本」と呼びました。
その人が身につけた力を、社会が公式に認めた証明、という意味です。
資格や肩書きは、その人をよく知らない相手にも、「この人はできる」と伝えてくれます。
説明しなくても、信用してもらえる。
とても便利な仕組みです。
ただ、この仕組みに長く慣れると、ひとつの思い込みが生まれます。
資格や実績のないことは、やってはいけない。
誰かに認められるまでは、名乗ってはいけない。
いつのまにか、肩書きが「始めるための許可証」のように感じられてくるのです。
前の記事で、「何になりたい?」は職業や肩書きの名前でしか答えられない問いだった、と書きました。
私たちは、答えの欄だけでなく、始める許可まで、肩書きに預けてしまっていることがあります。
前の記事 将来の夢を、答えられなかったあなたへ
許可証が要ることと、要らないこと
もちろん、許可証が本当に必要な場面もあります。
病気を診る。車を運転する。薬を扱う。
人の命や安全に関わることには、資格が欠かせません。
でも、私たちが「まだ」と言って止めていることの多くは、そうではありません。
文章を書く。
人前で話してみる。
何かを作る。
学びはじめる。
小さく試してみる。
どれも、誰かの許可は要りません。
始めた人を止める人も、いません。
「資格を取ってから」と思っていたことは、本当に資格が要ることでしょうか。
それとも、資格があれば安心できる、というだけでしょうか。
もし後者なら、待っているのは許可証ではありません。
安心のほうです。
最後の許可は、自分で出す
ここで、ひとつだけ手を動かしてみてください。
「まだ」と言って止めていることを、ひとつ書き出します。
その横に、二つのことを書き添えます。
ひとつ目。それは、本当に資格や許可が要ることですか。
ふたつ目。その「まだ」が終わる日は、いつですか。
日付が書けたら、それは準備の「まだ」です。
その日まで、安心して準備してください。
日付が書けなかったら、待っている「まだ」かもしれません。
そのときは、無理に日付を決めなくてかまいません。
かわりに、今週できるいちばん小さな一歩を、ひとつだけ書いてみてください。
その一歩に、許可証は要りません。
許可を出すのは、社会でも、ほかの誰かでもなく、あなたです。
許可証のいらないことは、今日始めても、誰にも止められません。
止めているのは、たいてい、自分の中の「まだ」のほうです。
「自分に許可を出す」ことについて、私が続けている方法をこちらに書いています。
ひまわりさんのアファメーションで、叶える自分を許可する